鎌倉・室町時代)
島津氏 85年間 櫛間を統治


  1185年 惟宗忠久(信濃の国から)嶋津御庄下司を任ぜられ、島津の初代となる。
1197年 島津忠久、櫛間院の地頭。
1411年 島津忠広、永徳寺再興。
1425年 島津忠国、日向大隅薩摩の守護職。
1486年 島津忠廉、飫肥櫛間の領主になる。
1535年 島津忠朝、飫肥櫛間の領主になる。
1538年 島津忠広、櫛間城主となる。
1540年 島津忠広、飫肥 櫛間 志布志を統治。
1555年 島津貴久、極楽寺再興。
1562年 島津忠親、櫛間に移る。
1564年 島津忠親、桂原で肝属兼績と戦う。
1583年 島津義久、北神社再興

 
  極楽寺・五輪塔群  串間市北方古川  
                     
極楽寺の境内にある12基の五輪塔群。これらの塔群の中に島津の武将、新納駿河守是久(にいろするがのかみこれひさ)の墓があります。
島津・伊東の両氏が激しく争った戦国時代、飫肥城主島津忠続の弟ながら櫛間城主伊作久逸と共に逆らい1485年飫肥で討ち死にしたのが是久である。
                 

旧称112所大明神)
島津氏ゆかり北神社

        北神社    串間市北方羽ヶ瀬

旧称、112所大明神「平山神社」
天平4年(732年)土佐国よりお下りになり1位崎に着岸山之口平山壇に社を立てたが縁起不明とある(高鍋藩寺社帳)
◎ 明応7年(1498年)島津忠朝
◎ 天文20年(1551年)島津忠親
◎ 天正11年(1583年)島津義久
がそれぞれ再興し秋月領になって
◎ 寛文3年(1663年)秋月種信が北神社を再興し神領四石五斗を寄進、毎年12月20日夜は火之舞が奉納され「火之舞様」と広く崇められている。