鎌倉時代)
野辺久盛 櫛間院の地頭となる

         野辺氏の墓
            
串間市奈留古大内  
                     

鎌倉時代 1334年
鎌倉幕府より野辺久盛は日向櫛間院(現串間)の地頭職を賜る。
櫛間城に居る。
その後、野辺氏は、盛忠・盛房・盛久・盛在・盛仁と7代続き1459年まで約120年間室町時代の半ばまで櫛間を統治した。
野辺氏の墓は大束古大内の国道220号線横にある。
                  

野辺久盛の居城
櫛間城址


    櫛間城址    串間市西方字上ノ城

櫛間城は建武2年(1335年)現在工業団地となっている約20万平方メートルの広大な敷地に築城された。
櫛間城は1459年 野辺氏滅亡後、伊藤・島津の抗争の場となっていたが、その後櫛間を領した秋月種長が慶長9年(1604年)居城を櫛間から財部(高鍋)に移した事から廃城となった。


野辺久盛ゆかり
蛇王権現さま

    野辺氏ゆかりの蛇王権現神社
                 串間市奈留古大内


応永2年(1395年)戦争で苦しんでいる時野辺久盛が飫肥を攻め平定し、続いて櫛間鎮定の際、洞窟で一夜を明かすことになった。
その時、この洞窟が屹度神様が祀ってある気がしたので「平和になるよう」祈り平定できたら必ずこの地に神社を立てて奉ろうと一夜中お祈りをした。
その後争闘も鎮まり苦しんだ郷民も楽しく暮らすようになったので約束どおり応永2年3月に蛇王権現神社として建立された。